チタ~ウラン・ウデ 2016/6/26
2013/6/26
さて、チタは特に見物するとこもなく、本当に休むだけだった。
24時間の宿泊で、24時間のほとんどは寝ていた。そして、4時からの宿泊で翌日4時に目覚ましで起きる。ずっと寝ていたとはいえ、最後は24時に寝たので、4時間で起きなきゃいけなかった。
結局、AM5:00に出発。雨。
AM7:30頃、道沿いのカフェでメシ。ボルシチ、パン、サラダ、コーヒー。
朝はロシアでもアニメの時間のようだ、最初はネズミの世界の話。次は恐竜の世界の話。恐竜のほうは毎回新しい恐竜に出会って、アニメが終わったあとにその説明がされるようだ。(今日はヘビ)(恐竜か?)主人公はプテラノドンの家族。ちなみに、2年以上たった今も、このアニメをハッキリと覚えている。人間は変な事を覚えているものだ。
雨のバイクほどつらいことはない。人生で一番つらかった経験は、福島から横須賀まで、下道で帰った時かも。レインコートもなく、ずぶ濡れで震えがとまらなかった。家に帰ってから服を着たまま湯船に飛び込んだ。閑話休題
2時間半、雨の中。たいして距離もかせげないし、全身の防水装備もスピードを出せばあまり意味がない。凍える。その道沿いのカフェのコーヒーで手を温めた。出発。
午後には雨上がる。午前は7時間程あったはずなのに3~400kmしか進まなかった。雨の間は全く進めない。
PM2:00頃昼を食べた。アジア風の店でモンゴル系の人が働いていた。アジア系のものを頼みたかったが、ボルシチとパン。
PM4:00頃ウラン・ウデ。クソ田舎で驚く。しかし、それは近隣の村で、ウラン・ウデは中々の都市だ。
意を決し、エヴァンに教えてもらった番号、ジェーニャに電話。なんとか伝わったようだ。エヴァンに電話し、伝わったかどうかわからないが、電話した旨を伝える。
しばらくして電話が来る。知らない番号だ。出ると日本語(若干片言)(←当時のメモだが、後で思い出すとだいぶ片言)どうやって俺の番号を知ったのかと聞くと、友達に聞いたと。どうやらジェーニャの友達だったようだ。自分の場所を知らせて、待つ。
しばらくして一人来た。メモには「カワサキZX14Rっぽいけどわからん」って書いてある
実際にはこれ。
ZZR1400(06年)
ウィキペディアの画像で恐縮だけど、これ。国外向けしかないのねー
私もふっきれた様で、来てくれた彼にはこちらから話す。質問して答えを聞く方が簡単。聞き取る単語、あるべき答えが大よそわかるからだ。
後二人くると聞いて待つ。日本語を話す女の子と、くだんのジェーニャ。紹介が遅れたが、彼はウラン・ウデのバイククラブのプレジデント。ホテルを一緒に探してくれるようだ。ホステルと言ったが、ただのホテルと思ったようだ。一軒目はあまりよくなく、二軒目に行く。12時間で1000ルーブリ24時間で1300ルーブリ。大分悩む。そのとき18時だったので、朝の6時にイルクーツクへ出発するのも手だ。ジェーニャが300ルーブリをカンパしてくれた。それで結局24時間にする。よい事を思いついた。明日ホステル泊まればちょうど良い。
9時に夕食を一緒に。ということで別れる。日本語を話せる子はこないようだ。
ホテルは最高。バスタブがある。お湯が出ない。まさか…と思ったが、HotとColdが逆だった。ロシア人・・・
お湯の勢いは充分。いろいろして九時を待つ。頭を石鹸で洗ったが、結構いける。
また知らない番号から電話がくる。到着したようだ。男二人。夕食だ。(バイクでなく、車、しかもベンツで来たので、誘拐でもされるのかと思った。)ポーズィとういう水餃子みたいなものを食べる。くっそ美味い。ゴスチ(客)だと言っておごってくれた。
ポーズ
そのままベンツでバイククラブへ行く。たくさんのバイク、人。(10人と10台くらいか)
皆と握手して、ウロウロする。ゲストブック?みたいなのに書いて、、特にすることも無く、皆ロシア語でしゃべっていたので、つまらんかった。それを察したのか、帰ることになる。
ベンツに送ってもらって、ホテルで日記を書いたり、服を洗ったりした。プラムを食べたら買ったときより甘くなっていた。熟したのだ。くだんのZZR1400の男がiPadのケーブルを持ってきてくれた。最高。
朝:ボルシチ、パン、コーヒー
昼:同上
夜:ポーズ、パン、茶
雨のち晴れ
走行距離680km程度
「日本に帰ったらしたいことメモ」が書いてある。
・家系ラーメンを食べる
・良い部屋をつくる
・ホステルを経営する
・次の旅のスポンサーをみつける
・パソコン
・甚平
・おしゃれ(ビルケン買う)
良い部屋を作るとホステルを経営する、次の旅のスポンサーをみつける。
これ以外はできた。
ホステルを経営は学生のうちにやってみたかったなー。
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