VF750マグナでユーラシア大陸横断

2013年夏にバイクでユーラシア大陸を横断したときの話

ウラン・ウデ① 2013/6/27

 

2013/6/27


ゴロゴロしていた。いつ起きたか、10時ごろか、1時ごろようやく出発。一番よさげなホステルへ予約をしに行った。道中、昨日の夕食を食べた店があったので寄る。


確かここだったはず

ポーズを4つと茶。450円ほど。1つ100円くらいか。


 ホステルを探す。探していると偶然ウリに会った。再会したことより驚いた事は、英語を話そうとしてもロシア語が所々で出てきてしまうのだ。(語彙が少なくて同じ単語を何度も使って口癖になったかも)ウラジオストクぶりの再会なのにけっこうあっさり別れる。サバサバ系だ。

 ようやくホステルをみつけた。もう脱出ゲームレベルの難易度。「Back Packer Interphone xxx」って書いたステッカーが申し訳程度に貼ってあった。
いくとアジア系の女二人。どうやら空きが無いようだ。1人が別のホステル(姉妹ホステル?)に連れて行ってくれる。Eriaちゃん。結構いろいろ話した。俺のロシア語も磐石になってきたものだ。なんでも日本語を話せるスタッフがいるとか。

 件のホステルにつくと、日本人っぽい女の子が受け付けてくれた。Larisaだ。色々の説明をうけ、今日まで宿泊のホテルへ戻る。 バイクを止めたのが最初のホステルだったのでEriaと一緒に戻る。(紹介料が幾らか行き来しているようだ)

 バイクで戻ろうとすると、ホテルの場所がわからん。観光のつもりでウロウロしたが、いつまでたってもたどり着かなそうなのでグーグルで調べて帰った。
 犬に吠えられながらバイクを止めて部屋へ戻る。戸の開け方がいつもわからん。(ロシアあるある)


このホテルだった記憶。もしかしたら高くてやめたホテルだったかも。

 受付の女の子がかわいかったのでコーラを買う。60ルーブリ。少し高い。(当時180円)でも話をできて、経験を買えた。ゴロゴロして18:30前に宿を変えるために出発。警備員が話しかけてきた。
 
 ホステルの場所は教えてもらったが間違っていた。しかし、近くだったので簡単に見つける。日記をかいたりする。バイクをとめる場所を聞く、Eriaに案内してもらう。買い物も付き合ってもらった。
 さてバイクを移動しようとすると、ロシア人が群がっていた。またがったりして写真を撮っていたようだ。一緒に写真をとる。香水をぶちまけられる。中々の酔っ払いだった。最近「もう行くねバイバイ」を覚えたので使った。
(後日記:彼らはおそらく出稼ぎ労働者だったのだろう。ウラン・ウデに戻ってきたのだ。香水は、「モスクワでこれが流行ってるんだ!」と自慢げに見せびらかしてきた。何か昭和を感じた。今でも思い出す。)

 ホステルに戻って、部屋でフランス人にベッドの交換を頼まれたり、タバコを吸ったり。

 
フランス人たちとギュウギュウになりながらタバコを吸う

写真をやたら撮る男がいた。アジア系のスタッフ?にバイクと一緒に写真を撮られたり、インタビューされたり(全く悪い気はしないが)

 
ウランウデのホステルに到着!

 ペリメニを茹でたりする。ホステルには5人もフランス人がいる。大人気だ。

 夜はホステルのスタッフ達と映画を見た。この日記を書き終えて、AM04:08




(後日記:おそらくスタッフだったのだろう。彼の写真はないが、まさに蒙古系。朝青龍系の顔をしている。ウラン・ウデは名前の通り、モンゴル系で、ウランバートルの真北に位置する。ロシア連邦構成主体の一つ、ブリヤート共和国の首府だ。印象としてはアジア系と白人が半々といった感じ。ハーフはあまり見なかったが、小学生くらいだと、けっこういる。)

 

↓次の記事です↓

 

↓最初から読む↓

vf750magna.hatenablog.com