VF750マグナでユーラシア大陸横断

2013年夏にバイクでユーラシア大陸を横断したときの話

イルクーツク~クラスノヤルスク② 2013/7/2

イルクーツク・クラスノヤルスク間の宿(ニジュネウジンクス出発)

午前中に出発。
途中に良さげのカフェがあった。モーテルとか小売店がセットになっている区画。
日本で言うサービスエリアみたいなものか。


店員がかわいい

店に入るとどこでもガン見される。
ロシア人はガン見からケンカとか無いのだろうか。

頼むメニューはいつもどおりボルシチ・黒パン・ホットコーヒー。
今回は少し高かった。(当時のメモにいくらかを書いていない・・)
普通70~100ルーブリ

イカーと相席になった。話してみるとポーランド人で、英語で会話出来た。
名前をバルトシュさんと言う。
一緒に旅をすることになった。

アフリカツイン乗り、Araiのツアラーヘルメット、ダイネーゼのウェア。


カフェ駐車場にて


タクシーのシート的なやつ敷いてる!

しばらく走っていると渋滞に。先頭まで抜けるとシベリア鉄道の踏切だった。



しかし様子がおかしい。どうやら車が通る木の部分が壊れたようだ。
(正式には軌間内・外舗装板というらしい。 へぇ・・)


完全に閉鎖されている

新しい道を作り始める。どこからともなくダンプカーがやってきて、砂利をぶちまけ、労働者がならす。


立ち往生

2時間ほどして開通。
しかし片側交互通行だ。
(自分たちの側は後回し)

無事出発するも、未舗装路が続き、街に入ったところで雨。
バルトシュさんとはぐれ、雨のせいで道に迷う。
(街に入るとどの道も同じ太さなので、ザックリと「モスクワに続く大通り」の見分けがつかない。)

雨に体力を奪われ、ガソスタで休む。
カフェ併設かとおもったら惣菜くらいしかなかった。
別れたバルトシュさんを放置するのもアレだと思い、一応誠意の電話をした。
(はぐれちゃったけどセーフトリップね!バイバイと)

・・出ず、着信も無かった。

一人旅再開、誰かと一緒も良いけど、一人だと自分のペースで行けていいよね・・

・・

しばらく進むと

 
バルトシュさんタイヤパンク

修理を待って出発。
(バルトシュさんが持ってきていたシガーソケット給電で動く空気入れ全く使い物にならず、近隣の村民に空気入れを借りた)



今夜は二人でキャンプをすることに。

その前にカフェで腹ごしらえをすることに。
おごってもらった。 店員は「おばちゃん」と「おばあちゃん」の間くらいの二人。
一人はロシア語学科の教授ににている。
バルトシュさんはコミュ力でガッバガバ話す。


自分のお金でビールを買って出発。

キャンプでテントを設営すると、早くもテントが壊れていた。
ポールの内ゴムが千切れてやがる。

焚き火をしたけど、すぐまた雨が降ってきた。
蚊が多い。
煙は虫除けになる。
バルトシュさんはパーカーを着ている。パーカーでないと頭中をさされる。

ウラン・ウデでキャンプ用マットをパクられているのでゴリゴリの地面にグラウンドシート直。
疲れていたのでビール一本でよく寝れた。

 

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イルクールク~クラスノヤルスク① 2013/7/1

イルクーツク出発

10:30に起きる。
皆いなくなっている。ファビオは10~11時に車屋へ行くと言っていたが10時くらいに行ったのだろう。

もう出発すると決めているので、ゆっくりではあるが準備をする。

そんな中、ファビオが車屋から帰ってきた。お別れをした。
ファビオのデリカとマグナの2ショットを撮っておきたかったので、満足出来た。

三菱ガンバレー

このあとどうしようかと改めて考えた。
そもそも観光都イルクーツクで何も観光をしていない。実はバイカル湖も近くの道路を通ったので見ているはずではあったが、霧がかかっていてほとんど見えなかった。(もちろんなんとなくは見えていたが)

リストビヤンカへ
昨日ファビオに誘われたところである。市内から50~60kmで着くので一応行っておくことにする。

なかなか良い道

(ロシアにしては)

道を進むにつれて寒くなる。湖に近づいたからだろう。

バイカル湖に着いた

озеро Байкал

寒いがキレイ。ほぼ海だ。
旅行者メインの町のようだ。おしゃれなホテルがたくさんある。

湖沿いの道路を行き止まりまで行き、戻る。
いざ、クラスノヤルスクへ。

クラスノヤルスクへ

さっそく、リストビヤンカからクラスノヤルスクまでの概算距離

約1,135km

道中、昼食のためにカフェに入ると小さな女の子が住んでいて、すみのテーブルに座っていた。
(すでに4年も前のことだけど、鮮明に覚えている。)やたら見てくる

カフェはご飯を食べるところで、バイクから降りて休憩するところだ、それでもう一度出発するための準備をするところ



↑当時の手書日記に書いてあるけど、どういうことだろう
現時点から補足をすると、バイクもずっと乗っていると当然疲れるわけで、疲れて休んでばかりいると進まないわけで、ガソリンを入れるとかご飯を食べるとか以外では休憩していなかった。
ガソリン給油はバイクに乗る装備のままで行けるけど、カフェにそのまま入っていけるということはないので、まさに肩の荷を降ろす、ちゃんとした休憩だった。・・・というのを意図してたのかな。



会計をすませて駐車場で出発の準備をしているとさっきの女の子がマグカップでお茶か何かをのみながら窓からガン見してくる。よほど珍しいのだろう。
バイクに乗る準備は意外と時間がかかるもので、ガチャガチャやっていると今度はネコをなでなでしながら見てくる。
なんか絵になる風景
小さな村だったけどいい思い出になった



残念なことになんの写真も撮っていなかったので、このカフェの位置が全くわからない。すっごーい暇になったら道中を全部ストリートビューで移動してもいいけど・・




道中でよったガソリンスタンドに犬がいた。えらいかわいい

クゥーン

これはiPadで撮った写真なのでGPS情報でガソリンスタンドの位置を特定できる


懐かしい・・

このわんちゃんはまだ生きてるのかな・・

ホステル到着

きょうもきょうとて行程走破

 

確かここだったはず

受付が面倒だった。12時間で1700ルーブル(当時5,100円くらい)たけえ!そのわりにトイレに紙もなくて、浴室にはバスタブもない。
ぼられた


・・・


というわけで今日の移動はこれくらいでした

約グーグル曰く591km

メーター読みで

44176.0km trip707.2km

リストビヤンカでのメーターが

43561.1km trip92.1km

ということで
615kmの走行でした

 

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イルクーツク 2013/6/30

2013/6/30

昨日ファビオがリストビヤンカに行こうと誘ってくれたので、ついていく。


イルクーツクーリストビヤンカ

往復140km程度。これくらいじゃなんとも思わない様になっていた。イルクーツクといえばバイカルの街だが、意外と遠いのだ。

先ず彼のデリカの修理にいく。いい経験だし、ファビオすげえのでついていく。(この日記を書いていたときは大分ファビオに感化されていたようだ)



やっぱり旅で重要なのは、なんといっても地図。バイク・車旅ではことさらだ。
ファビオのスマホの地図はなかなか優秀。アンドロイドのアプリだった。だが今ではもうグーグルマップがベストだ。当時は「2GIS」とかいうアプリを使ったりもしていた。ネット環境の要らない、ダウンロード系地図。ロシアでは未だに強い。シムフリー端末を持ってなかったり、1,2都市くらいしか行かないのであれば、これでも十分であろう。

閑話休題



彼の先導にバイクでついていく。
車屋に着いて、少し通訳をする。しかし、ファビオにはフランス語を話すロシア人の友達がいて、彼に電話をかけて、電話を通訳にして完璧に対応。
すごいやつだ(そういう友達をつくる力)

俺は俺で、直接車屋のやつと話す。自分の旅の計画を話した。いつもどおり驚いてくれる。それだけで友達になれる。

写真撮っていないと場所思い出せないなー、イルクーツクで"автосервис"探しても該当が多すぎて・・
もしかしたらここかもってとこを見つけた。
まあイメージって事で


ストリートビュー中央のシャッター

このガレージがあいて、中が地下に吹き抜けの穴が空いていて、地下から自動車整備できるようになっていたらこの店だ。

その車屋のやつとファビオと、デリカの部品を探しにパーツ屋に行く。今思い返してみると、そこセルフサービスなんだ笑

その教えられた店に行く。自動車部品のショッピングモールみたいなやつだ。面白い。ただ日曜日なので閉まっている店が多い。



本当にいろいろ売っている。こんなのを見るのは初めてだ。


トヨタエンブレムとか売っている。結局、デリカの部品はなくて車屋に戻る。フロントのサス?を外していて、明日もう一回来ることになった。

とりあえずホステルに戻った。フロントサスペンションのない車はやばいとファビオが目を白黒させていた。そんな状態なのでリストビヤンカはやめた。

今思い返してみると、サス無しで運転していいもんなんだろうか?緩衝なかったらどっかがガンガンなってクリアランスとかめちゃくちゃになりそうだけど・・
車に詳しい人、サス無しで走ったらどうなるか教えてください。

帰ホステル後は特になにもせず、アナスタシアからきていたメールの返信に苦心したりしていた。
近所のスーパーに行く。カップラーメンを発見。韓国製だと安い。ふつうに美味かった。
日本もがんばって欲しいものだ。昼寝する。(16:00~19:00)

夕飯、ホステルのやつらが、「いっしょに」と誘ってくれて、ご馳走になる。ファビオの作ってくれたペリメニのカレー風味がメチャウマ。


日記書いたり、ネットみたり、そこそこヒマにすごす。

明日は出発だ。
 

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ウラン・ウデ~イルクーツク 2013/6/29

2013/6/29


10時ごろ起きて、11時ごろ出発。

次の目的地はイルクーツクだ。バイカル湖で有名。
世界でもっとも深い。そんで貯水量も世界一。今ウィキペディアで確認すると世界の淡水の20%近くがここにあるのだと。堂々たる世界遺産である。でも環境汚染とかがいろいろと、



こんな感じのルート。下回りでいく。Google先生曰く、459km


アナスタシアともう一回、救急車で運ばれていったラスタマンともう一回話したかった。

小雨だったので出発するか迷ったが、出発。バイクだと雨より寒さがキツイ。しかし、雨は30分ほどでやんだ。
昼飯を3時に食べる。だが、一軒目に寄ったカフェは観光バスが山ほどいて、5分ほど並んであきらめた。(日記には観光バスと書いてあるが、都市間を結ぶ路線バスだったかもしれない)
もうしばらく走って別のところへ。すぐ入れたのは良かったが、酔っ払いに絡まれて大変であった。

トラック運転手。ロシアのトラック運転手ほど評判のわるいやつらはいない。飲酒運転の常習犯だと、みんな言う。実際、事故を起こして横転しているトラックを目にする事は超多い。まあそもそも、ロシアでの交通事故はかなり多い。よく生きて帰れたものだ。

閑話休題

トラック運転手である。デロンデロンに泥酔しておる。まさかそのまま運転はしないだろう。
おそらく、イルクーツクで荷を降ろして、次の荷を乗せるまでトラックで寝るんだろう。


トラックの運転手はベロンベロンになって絡みまくっている。店員のお姉さんもうんざりしているが、客層がそうなんだろう。慣れたもんだ。

俺にサングラスをくれと言ってくる。結構ガチギレする。

とは言えロシアの酔っ払いなんて他愛ないもんだ。

日本の酔っ払いは暴力的になるが、ロシアは違う。酔っ払ってグデングデンになりたいだけなんだ。だから意外とロシア人は酒に弱い。日本人は覚悟を決めて(あまり泥酔はしないようにと)飲む。でもロシア人は「酔っ払うぞ」と覚悟を決めて飲むから、すぐにヘベレケになる。(くれぐれも勘違いしないように。ロシア人のアルコール耐性は並じゃない。酔うのが早いだけだ)

いつも通り、パンとボルシチとコーヒーで出発。

ウランウデ(Ulan-Ude)は

スマホでGoogleEarthって見れたっけ?

こんな感じで山?のふもとあたりにある。
イルクーツクに向かうには、この1/10箱根みたいなのを越えるんだけど、この1/10箱根を越えると急激に寒くなる。バイカル湖の冷気だ。驚くほどのさむさだ。

とはいえ、天気にも恵まれ、普通にイルクーツク着。ホステルもすぐ見つかる。
よっぱらいに絡まれた以外は順風満帆だった。
ホステルのスタッフはマキシムという名前。英語はなせる。ウラジオストク以外、ずーっと英語話せている。最初のはハズレだったのだろうか(まあロシア語の勉強をかねての旅なのだけど)

「駐車場が駐車場だった。少しめんどうだったがマキシムがいて助かった」

なんのこっちゃい。日記に書いてあった。

が、すぐ思い出した。駐車場。車用だったんだ。確か少し高かった気もする。交渉して、少し安くしてもらった記憶。

ストリートビューで検索すると・・


ありました

うっわ!!!なっつかしいいいいいい!!!

そうそう、この掘っ立て小屋にいる駐車場の管理人みてえなのと交渉したよ。懐かしすぎる。
この汚さがときに、無性に懐かしいんだよな~~~

そんでこの駐車場のトイメンの黄色い建物の一室がホステル。


マキシムが、ポルトガルから車で旅をしてきた男がいると教えてくれる。
ホステルに入ると、彼が話しかけてきてくれた。名前はファビオ。
一緒にタバコ吸いながら彼の車を見る。
そもそも彼はスイスに住んでるポルトガル人だった。スイスから来たんだと。(それでもすごい)


三菱デリカ

スイスでスクールバスに使われていたデリカを3000ドルで買って、旅仕様に改造したのだと。
後ろの席を取っ払ってキッチンに。
本職が大工なので、そういう改造はお手の物なんだって~

すでに13000km走ったとか。すっげえ。デリカがすげえ。

各地で土地の人に書いてもらってるんだってー

そういえば、ブンシャカさんの耳なし芳一カーはどうなったんだろう。


本名モザイク

ほんっと、日本のメーカーって天狗だよな。こうやって自社製品をPRしてもらってんのに、
社員に言っても
「へぇ」
で終わりですよ。

このホステルで友達ができるか、一抹の不安を覚えたが、一時間静かにしていたらみんなから話しかけてくれた。ありがたい。ビールを飲む。

24時ごろ皆寝る。健康的だ。自分も寝る。

走行距離456km
雨のち晴れ

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ウラン・ウデ② 2013/6/28

2013/6/28


天気は晴れ。10:30に起きる。11:00にトイレ、11:30にベッドから出てこれを書く。一日何もしなかった。
 ドルシェワって女の子と仲良くなった。ウラン・ウデで剣道をやっていて、この春(2013年)に我が大学へ剣道をしに来たと。うちの大学のロゴTシャツを着ていた。ジブリで何が好きかとかいう話をした。夜にフランス人の旅行者(ベッドを代わったやつ)が救急車で運ばれてしまった。ラスタヘアーで、なんか色々話した。いいやつだったのに・・・

 店でイクラを買った(手記には「イクライクラ」と書いてある。卵の卵?!)
 ちなみに味はうまかった


イクラを食って、バルチカ飲まない、訳がない


 フランス人は5人。カップル(ラスタマンとその彼女)とじいさん(写真を撮られることを毛嫌いする。ロシア語を話せる。)ともう2人。その「もう2人」と仲良くなる。女の子はアジンっていう名前。ロシア語で1だ。フランス語ではどういうニュアンスなのか。
 俺が英語を話せないかと思って話しかけてこなかったらしい。こちらも同じ。色々話していると、フランス人コミュニティの夕食に呼んでもらった。

美味い!!!!

ロシアの食卓がフランスになった。
すごく食べたかったので、誘ってもらったときはマジで嬉しかった。



メシを食っていると、今日ホステルに来たロシア人の女の子がダバイパズナコーミ、、と来た。
彼女はアナスタシア。髪がオレンジ。
結構、仲良くなった。日本が好きだとか。グレイ?がすきとか、ゴールデンボンバーがすきとか。(ちなみに俺はブルーハーツが好きです、と無難な答え。

 グルジア人のジイサンがどっかからでてきて、アナスタシアと三人で日本のことを話した。
 (後日記:へんなジイサンだった。なんか中国と石油の取引をしているとか言っていたが、その割りに、身なりはふつうのジイサンだった。なんか資料を見せてきて、これ中国語だとか言ってきた。Bot ネフチとか言って漢字を理解できることをしめすと驚いていた。)
 日本と朝鮮の関係はグルジアとロシアの関係だとアナスタシアが言って、グルジア人のジイサンがデッカイ演説ぶちかまそうとし始めたので皆そそくさと寝に入った。

 アナスタシアはそこまでかわいいって訳じゃないけど、写真を撮るときに体を寄せドキドキした。むっつりスケベェであった

 

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ウラン・ウデ① 2013/6/27

 

2013/6/27


ゴロゴロしていた。いつ起きたか、10時ごろか、1時ごろようやく出発。一番よさげなホステルへ予約をしに行った。道中、昨日の夕食を食べた店があったので寄る。


確かここだったはず

ポーズを4つと茶。450円ほど。1つ100円くらいか。


 ホステルを探す。探していると偶然ウリに会った。再会したことより驚いた事は、英語を話そうとしてもロシア語が所々で出てきてしまうのだ。(語彙が少なくて同じ単語を何度も使って口癖になったかも)ウラジオストクぶりの再会なのにけっこうあっさり別れる。サバサバ系だ。

 ようやくホステルをみつけた。もう脱出ゲームレベルの難易度。「Back Packer Interphone xxx」って書いたステッカーが申し訳程度に貼ってあった。
いくとアジア系の女二人。どうやら空きが無いようだ。1人が別のホステル(姉妹ホステル?)に連れて行ってくれる。Eriaちゃん。結構いろいろ話した。俺のロシア語も磐石になってきたものだ。なんでも日本語を話せるスタッフがいるとか。

 件のホステルにつくと、日本人っぽい女の子が受け付けてくれた。Larisaだ。色々の説明をうけ、今日まで宿泊のホテルへ戻る。 バイクを止めたのが最初のホステルだったのでEriaと一緒に戻る。(紹介料が幾らか行き来しているようだ)

 バイクで戻ろうとすると、ホテルの場所がわからん。観光のつもりでウロウロしたが、いつまでたってもたどり着かなそうなのでグーグルで調べて帰った。
 犬に吠えられながらバイクを止めて部屋へ戻る。戸の開け方がいつもわからん。(ロシアあるある)


このホテルだった記憶。もしかしたら高くてやめたホテルだったかも。

 受付の女の子がかわいかったのでコーラを買う。60ルーブリ。少し高い。(当時180円)でも話をできて、経験を買えた。ゴロゴロして18:30前に宿を変えるために出発。警備員が話しかけてきた。
 
 ホステルの場所は教えてもらったが間違っていた。しかし、近くだったので簡単に見つける。日記をかいたりする。バイクをとめる場所を聞く、Eriaに案内してもらう。買い物も付き合ってもらった。
 さてバイクを移動しようとすると、ロシア人が群がっていた。またがったりして写真を撮っていたようだ。一緒に写真をとる。香水をぶちまけられる。中々の酔っ払いだった。最近「もう行くねバイバイ」を覚えたので使った。
(後日記:彼らはおそらく出稼ぎ労働者だったのだろう。ウラン・ウデに戻ってきたのだ。香水は、「モスクワでこれが流行ってるんだ!」と自慢げに見せびらかしてきた。何か昭和を感じた。今でも思い出す。)

 ホステルに戻って、部屋でフランス人にベッドの交換を頼まれたり、タバコを吸ったり。

 
フランス人たちとギュウギュウになりながらタバコを吸う

写真をやたら撮る男がいた。アジア系のスタッフ?にバイクと一緒に写真を撮られたり、インタビューされたり(全く悪い気はしないが)

 
ウランウデのホステルに到着!

 ペリメニを茹でたりする。ホステルには5人もフランス人がいる。大人気だ。

 夜はホステルのスタッフ達と映画を見た。この日記を書き終えて、AM04:08




(後日記:おそらくスタッフだったのだろう。彼の写真はないが、まさに蒙古系。朝青龍系の顔をしている。ウラン・ウデは名前の通り、モンゴル系で、ウランバートルの真北に位置する。ロシア連邦構成主体の一つ、ブリヤート共和国の首府だ。印象としてはアジア系と白人が半々といった感じ。ハーフはあまり見なかったが、小学生くらいだと、けっこういる。)

 

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チタ~ウラン・ウデ 2016/6/26

2013/6/26

 さて、チタは特に見物するとこもなく、本当に休むだけだった。
24時間の宿泊で、24時間のほとんどは寝ていた。そして、4時からの宿泊で翌日4時に目覚ましで起きる。ずっと寝ていたとはいえ、最後は24時に寝たので、4時間で起きなきゃいけなかった。
結局、AM5:00に出発。雨。

AM7:30頃、道沿いのカフェでメシ。ボルシチ、パン、サラダ、コーヒー。
 朝はロシアでもアニメの時間のようだ、最初はネズミの世界の話。次は恐竜の世界の話。恐竜のほうは毎回新しい恐竜に出会って、アニメが終わったあとにその説明がされるようだ。(今日はヘビ)(恐竜か?)主人公はプテラノドンの家族。ちなみに、2年以上たった今も、このアニメをハッキリと覚えている。人間は変な事を覚えているものだ。

 雨のバイクほどつらいことはない。人生で一番つらかった経験は、福島から横須賀まで、下道で帰った時かも。レインコートもなく、ずぶ濡れで震えがとまらなかった。家に帰ってから服を着たまま湯船に飛び込んだ。閑話休題

 2時間半、雨の中。たいして距離もかせげないし、全身の防水装備もスピードを出せばあまり意味がない。凍える。その道沿いのカフェのコーヒーで手を温めた。出発。

 午後には雨上がる。午前は7時間程あったはずなのに3~400kmしか進まなかった。雨の間は全く進めない。



 PM2:00頃昼を食べた。アジア風の店でモンゴル系の人が働いていた。アジア系のものを頼みたかったが、ボルシチとパン。

 PM4:00頃ウラン・ウデ。クソ田舎で驚く。しかし、それは近隣の村で、ウラン・ウデは中々の都市だ。
 意を決し、エヴァンに教えてもらった番号、ジェーニャに電話。なんとか伝わったようだ。エヴァンに電話し、伝わったかどうかわからないが、電話した旨を伝える。
 しばらくして電話が来る。知らない番号だ。出ると日本語(若干片言)(←当時のメモだが、後で思い出すとだいぶ片言)どうやって俺の番号を知ったのかと聞くと、友達に聞いたと。どうやらジェーニャの友達だったようだ。自分の場所を知らせて、待つ。
 
 しばらくして一人来た。メモには「カワサキZX14Rっぽいけどわからん」って書いてある
実際にはこれ。

ZZR1400(06年)

ウィキペディアの画像で恐縮だけど、これ。国外向けしかないのねー
私もふっきれた様で、来てくれた彼にはこちらから話す。質問して答えを聞く方が簡単。聞き取る単語、あるべき答えが大よそわかるからだ。

 後二人くると聞いて待つ。日本語を話す女の子と、くだんのジェーニャ。紹介が遅れたが、彼はウラン・ウデのバイククラブのプレジデント。ホテルを一緒に探してくれるようだ。ホステルと言ったが、ただのホテルと思ったようだ。一軒目はあまりよくなく、二軒目に行く。12時間で1000ルーブリ24時間で1300ルーブリ。大分悩む。そのとき18時だったので、朝の6時にイルクーツクへ出発するのも手だ。ジェーニャが300ルーブリをカンパしてくれた。それで結局24時間にする。よい事を思いついた。明日ホステル泊まればちょうど良い。
 9時に夕食を一緒に。ということで別れる。日本語を話せる子はこないようだ。
 ホテルは最高。バスタブがある。お湯が出ない。まさか…と思ったが、HotとColdが逆だった。ロシア人・・・
 お湯の勢いは充分。いろいろして九時を待つ。頭を石鹸で洗ったが、結構いける。

 また知らない番号から電話がくる。到着したようだ。男二人。夕食だ。(バイクでなく、車、しかもベンツで来たので、誘拐でもされるのかと思った。)ポーズィとういう水餃子みたいなものを食べる。くっそ美味い。ゴスチ(客)だと言っておごってくれた。

ポーズ
 
 そのままベンツでバイククラブへ行く。たくさんのバイク、人。(10人と10台くらいか)
皆と握手して、ウロウロする。ゲストブック?みたいなのに書いて、、特にすることも無く、皆ロシア語でしゃべっていたので、つまらんかった。それを察したのか、帰ることになる。

 ベンツに送ってもらって、ホテルで日記を書いたり、服を洗ったりした。プラムを食べたら買ったときより甘くなっていた。熟したのだ。くだんのZZR1400の男がiPadのケーブルを持ってきてくれた。最高。


朝:ボルシチ、パン、コーヒー
昼:同上
夜:ポーズ、パン、茶

雨のち晴れ
走行距離680km程度

「日本に帰ったらしたいことメモ」が書いてある。
・家系ラーメンを食べる
・良い部屋をつくる
・ホステルを経営する
・次の旅のスポンサーをみつける
・パソコン
・甚平
・おしゃれ(ビルケン買う)

良い部屋を作るとホステルを経営する、次の旅のスポンサーをみつける。
これ以外はできた。
ホステルを経営は学生のうちにやってみたかったなー。

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