VF750マグナでユーラシア大陸横断

2013年夏にバイクでユーラシア大陸を横断したときの話

チタ 2013/6/25

2013/6/25

実は今回、旅の話があまりない。前日は20時間くらい運転し続けて1500km近く走った。
朝5:30に就寝。
起きたのは午後の6:00頃だった。睡眠時間12時間で済んだのは回復の早いほうな気がする。

6/24iPadの充電ケーブルを破損してしまったので買いに行く。


アフリカ感のあるチタ市街入り口

昨日WiFiを使ったスーパーへ。キオスク程度の大きさの店でiPadのケーブルがあるか聞く。
無いと言われる。チタで他に電気屋は?と聞くとチタでは売ってないとか言われる。

・・・

今になって考えてみると、ロシア人は「知らない」って言えない負けず嫌い気質があるから、適当な事を言ったのかもしれない。2013年で、いくらロシアの片田舎とは言え、iPhoneiPadが出回っていない訳が無いだろう。

まあ仕方なく、次の都市ウラン・ウデで買うことに。
結局レモン風クッキーと、りんご風スモモと、ペプシを買ってホテルへ戻る。


レモンの形なだけで、レモン風味は一切ない。

束の間の休息


日記を書いたり色々する。ハバロフスクエヴァンから電話が来た。ウラン・ウデの友達に電話しろと。
自分の体とハンカチと靴下とパンツをまとめて洗った。
意外にもお湯がよく出る。流れ落ちる水は車道特有のススで真っ黒になっている。
荷物を整理して、太宰を読む。

明日の予定を決めて就寝


ウラン・ウデまでは4~500km程度。楽だ。チェックインが5:00で、部屋は24時間だ。朝の5時に出るか。4時に目覚ましをかける。
12:00を知らせる鉄砲か花火が鳴った。寝る。

朝メーターの写真を撮った。TRIPが一周している。


1435.5km

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メモに
「ロシアでは交通事故をたくさん目にする」
と書いてある。

確かに多かった。そこらかしこでトラックが横転している。さすがに自動車が裏返しになってるのはびびった。でもあんだけ人気が無くて事故ったらひとたまりもないな。

 

ハバロフスク~チタ 二日目 2013/6/24

 

ハバロフスク~チタ 2100kmの行程、二日目です!どうぞ!

2013/6/24

朝7:30に起きる。彼らはかまどで火を焚いていたのだが、やばい。何でも燃やす。燃やせないものは無い。ペットボトルとかもガンガン燃やしていた。焼却炉の魔術師はロシアにもいた。
おれがプラスチックというロシア語を頭の中で探している間にどんどんペットボトルが溶けていく。


参考資料

いや、ペットボトルを燃やしちゃいけないって言うのは我々の先入観かもしんねえ。燃料にしている分エコなのかもしれないぞ??(混乱)
その火で沸かした茶とビスケットを朝飯に貰って出発。


ワンワン(ワンワン)

かわいいワンチャンが見送ってくれた。連れてってやれとか言われる。

残り1500km近く


とにかく走った。一回ガス欠した。一台車を止めると何台も助けに来た。フロントフォークと車をロープで縛り引っ張られた。

絶対、ずえええええええったああああああいに真似すんなよ。

FFは精密部品だから!そもそもバイクは牽引されるものではない
(ロシア人に助けてもらうときは何か部品を犠牲にする覚悟をしよう。)

25km程度。ロープのせいでバンパーに傷がついたようだ。(彼は何も言わなかったが。)ちゃんとお礼も出来ず彼らは行ってしまった。


辿り着いたガソリンスタンドの全く関係ない人たち


なんでこんな写真撮ったんだ?
 

残り500km近く


1000kmほど走ると景色がかわってきた。草原だ。すごくいい。


心にグッと来る。


自然の偉大さを感じずにはいられない。

10時。まだ明るいがテント泊をすることにした。脇道にそれてテントをたてる。建て方がわからん。一応、形にして、入る。


1000kmならここら辺りか

上の写真のGPSデータが無い・・ 機内モードにでもしちゃってたか??それか軍事基地の近くだから表示されない?? 時間はちょうど21:30。

就寝   ・・?


結局、怖くなってやめた。一人でキャンプは良くない。バイクに接近アラームでもあれば、良かったが。川沿いはロシア人がキャンプしてたりするので、そういう所でしようと思う。暗くなった。こういう時は走りたくない。
しかしチタまで行けば色々ある。そう思い、バイクを走らせる。
(怖くなった理由はこちら

いざいざチタへ


400kmほど走る。前方に雷が見える。雷へ向けひたすらバイクを走らせる。気分は古典的なRPGのようだ。

チタまで50-100km程度のところで雨。雷のところまできたようだ。
雨は体力を容赦なく奪っていく。休みたい

カフェに辿り着く。(このブログでよくカフェと書くが、軽食堂のことだ。国道沿いにあるドライブインのような店だ。トラック野郎向けの店だ。)


軌跡
トラックがたくさん止まっている、建物に入る。モーテルのようなものを期待したが・・ただの食堂だ。
ホテルは50kmほど行かないと無いとか。コーヒーを飲む。外に出ると雨は止んでいて、出発。


豚野郎!


何故二枚撮ったのだ

生き返った。身体が冷え切っていたのだが、また出発しなくては。
(同じくGPS情報が無い。時間は夜25:46。)

チタ着 (1500km走破)

 チタに着く。何も無い。すでに4時。スーパーみたいなのがあって、そこで金をおろしホテルをきく。よくわからんがあるらしい。
ホテルっぽいとこに行くと違った。(軍事基地だったかも。しかし軍人の割には優しく応対してくれた。)


チタ市街図
 
なんとか見つける。ベルを鳴らして人を呼ぶ。おばさんが出てきて部屋はないと。
スーパーに戻る。そこはWiFiがあってKindleでネット。ホテルは3つほどあるようだが、場所がわからん。

・・結局さっきのホテルに戻ってゴネる事に。ホテルに戻って、待つ。と言う。いつまで待てばいい、疲れた、あんた良いやつじゃないのかなどとロシア語で捲くし立てるとテレビのない部屋があると。24時間で3600円。助かった。
おせばいけるもんだ。そもそも部屋あるのに何故ダメだったのか。不審、めんどうに思われたのか。

5:30頃寝る。




これまでの軌跡。わかりにくい。



毎食パンとボルシとコーヒー
 
200kmほど満タンで走るバイクなのだがガス欠。東京から静岡まで国道1号を走って、一軒も無いような物。おそろしい。
 
iPadの充電ケーブル無くした。ドラクエで言うと30ほどレベルが下がった。
 
追い詰められると結構ロシア語話せる。6/24寝るときに虫刺されの多さにドン引き。


6/24 晴 少し雨 1435.5km

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以下汚い話。食事中は閲覧厳禁。

うんこの話



24日の朝にうんこしようとすると木立の中だといわれる。水洗でない。ぼっとんですらない。穴が掘ってある。くせえ。ドアもねえ。キャプテンがうんこ座りしてうんこしてる。待ってくれとジェスチャーされる。
昼に行った食堂でトイレ行こうとしてたずねると、「通りにある」と。やな予感的中。ぼっとん。やめる。(くさすぎた)
実に汚い話で、書いてる最中に実際気持ち悪くなった。
でもこれが現実で、しかも「トイレどこ?」→「通りにある」これはロシアの辺境に行った人たちの共通の話題なのだ。

ハバロフスク~チタ 一日目 2013/6/23

 


さてロシア2都市目のハバロフスクも終わり、次の都市、3つ目の都市チタへ。

しかし!

簡単な事じゃないのよ。ご覧下さい。


WOW

ウラジオストクハバロフスクは800km前後だった。
さて、チタへは2000km超の超長行程。
もうなんて例えればいいかわかんない。2000kmってwww いや、それだってオンロードならまだしも、半分くらいの道は軽いダートですよ?
一日20km歩いても100日かけないと行き着かない!

2013/6/23

朝10時頃おきるエヴァンがもう1時間寝たいと言ってくる。昨日の残りを食べて出発。
あんまりいい別かれ方でなかったのが心残りだ。
よく覚えていないが、ずっと走っていた。
この文の元になっている日記は二日後の25日に書いたのだが、それでも記憶が不鮮明って言う事は大分疲れていたのだろう。

まあ文字通りずっと走っていた。ヘルメットのヘッドセットで音楽を聞きながら。色々考えた。ロシアの人の暮らしとか。果てしない緑の中に何がいるのかとか。白樺は本当に白いなあとか。
本当に風になっているような、自分が動いているんだか、自然が動いているんだか、それすらも曖昧な気持ちで景色を眺めながらバイクで走り続けた。

ゼヤ川のほとりで

夜テント泊をしようと、ゼヤ川のほとりでウロウロしていたら、川?橋?の管理人達に声をかけられる。


ここだ

キャンプを張る交渉をしようとしたが、「泊まるか?」と言われ、ご好意に甘えた。彼らの事務所に泊めてもらう。
ロシアの車に乗せてやると言われ、ニーヴァに乗った。大分壊れている。


ニーヴァ(wikipediaより)

近くの村に行く。村っぽい村だ。バスみたいなのが店になっていてウォッカとリンゴを買って戻る。(店には寒村に似合わないようなロシア美女もいた) 帰り道で管理人の長っぽいオレグ(一番年寄り。カピタンとか言われてたと思う。)がタバコを買い忘れたと言っていた。
帰路で車が止まる。バッテリが終わっているようだ。結局押しがけ。
事務所に戻り、ウォッカ

チュチュ!(少し!)と言っても聞かない。オレグともう一人のロシア人ゲーナと3人で飲む。(川の管理人?は四人いた)飲まないやつに怒っていた。干せといわれ、一気(ショット)
川で泳ごうと言われ、断る。結局川へ行って泳ぐ事に。フルチン。クレイジー。虫に食われまくる。色々話してショットは3杯飲んだ。メシを食えと言われ食べる。(プチプチした米のピラフ?)ちょっと汚い。ハチミツを食えと言われる、アリさんとか入ってる…。スプーン一杯のハチミツをパクパクやる。力がつくぞーと言われ、いっぱい食べさせられる。リンゴとハチミツをつまみにウォッカを飲み続ける
何時かは不明だが寝る。


言葉に出来ないほどいい人たちだ!(若い方がゲーナ、トム・ハンクス似のオレグ)

フルチンで川に飛び込むのはいいが、まー蚊に刺されまくった。本当に楽しい夜だったなあ。今思い返すと蜂蜜もりんごもウォッカも最高だった。熱くなった喉を潤すリンゴとコーティングしてくれる蜂蜜!

日本語教えてくれ教えてくれ言われて、悪いやつのことなんていうんだって聞かれて、「悪人」って言ったら「アクニンアクニン」ってめっちゃつぼってた。出る杭は打たれるってことわざを教えようとしたけど、うまく説明できなかった。


さて、6/23の行程はこんな感じでした。

グーグル先生曰く722km メーター読み736km

残すは1400km程度!あと二日でちょうどかね!

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ハバロフスク② 2013/6/21

 
さて、まずはハバロフスク市内の地図をどうぞ。
一日目の地点をマーカー打ってみた。


ハバロフスク1日目

さてハバロフスク2日目へ

ハバロフスク2日目

朝10時にエヴァンと待ち合わせ。部屋を見つけるのに難儀する。
似た通り、番地の書き方はまちまち。団地の棟の分かれ方はまちまち。 日本のように電柱に番地が書いてあったりとかもねーし、団地も住所を示すようなもんが全然見当たらない。

なんとか見つけた。部屋で茶をご馳走になって、店に買い物へ。


ここかな?


ベルト(サイドバッグ補修のため)、メガフォン(携帯)、食べ物、ナイフ。
ナイフには書類が付いている。警察に見せるためだ。(何を証明するのやら)


ナイフ。なんで写真こんな明度なんだ?
 
そのまま家から離れた所にあるガレージでサイドバッグをとる。

ハマーのリモ?!

エヴァンは結婚式の仕事があり、それについてゆく。
ハマーのリムジンで街を周遊するのだ。乗っていいのか?


裸で洗車だ。

ハマーのオーナーに少し怒られたようだ。公私混同だと。
すまぬエヴァン。


内装かっけえ! ・・って誰だお前?!


さすがにリッチな印象だ。

結婚式はたくさん行われているようだ。
教会へ向かうと公道を埋め尽くす車車車。轟。

新郎新婦と写真。お幸せに。
 
モデルみたいなのが4〜5人いた。花嫁より美しげ。


妖精かよ


新郎新婦が負けそうな2ショット


皆スーツを着ていたが、一人ラフな格好をしている男がいて、イケメン、バーバリーのTシャツと青っぽい全身(ジャケット・パンツ・靴)、ウェイファーラーの白。腹立つほどイケメン。

~観光~

ハマーは少し壊れていてクソ暑い。(冷房無し)ロシア人の騒ぎ方は日本の若者となんらかわらず。
ハマーで市内観光的な事をする。ゲストたちはシャンパンのみながら観光地で下ろされ、ウロウロして、戻ってくる。


立派な建物だ

観光地は正直つまらん、馬のいる公園とかあった。(馬のちんこをみてエヴァンが大喜びしていた。)


こんな庭園がある


何故君たちがここに??
 

極東黄金の国ハバロフスク

最後のポイントへ。ここでハマーのリムジンツアーは終わりだ。
すこし観光疲れしたな・・ ん?


なんだこの見覚えある長方形の紙は???

うおおおおおおおおお

金だあああああああああああああああああああああああ

金だ!金だ!金田!!!!!!!


大金持ちだあああああ

ロシアの経済発展は本物であった。自動車市場の発展はガソリン価格の上昇に引っ張られているのではないのだ! ロシア自動車市場にはポテンシャルがあるのだ! 300万台で頭打ちなのではないぞ! 目指すは400万台だ! 三菱もクレムリンに電気自動車売るぞ! 日産もダットサンブランドを展開するぞ! レクサスは1000万越えでもロシア人に買われるぞ!

・・
エヴァンの家に行って今夜泊めてもらう。サイドバッグの修理をしたが、蚊多すぎ。ラストサムライやら日本の映画を見せられてうんざり。
北野映画見せられて色々質問されるんだけど、多分海賊版な上に音声吹き替えでなく、ロシア語の音声を無理やり日本語音声の上にのせている。脳みそを攻撃してくるタイプのやつだった。

娘さんの部屋で寝る。
うちの教授の部屋になぜかあるぬいぐるみがいた


オヤスミ!!!
 
朝 茶
昼 パンソーセージチーズ
夜 ボルシ、サーモンサラダ、ハンバーグ、じゃがいも


追記
エヴァンがブーツを洗ってくれたが、タワシに洗剤つけて俺が履いてるまま水でジャブジャブ

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ハバロフスク① 2013/6/20

ハバロフスク


なんと!ストリートビューでホステルみつけた!ここの一階だ!

ハバロフスクはロシア極東を代表する都市のひとつである。ウラジオストクから北へ700km。アムール川沿いの街だ。


2013年6月21日

起きるとイタリア人たちはいなかった。モンゴルを通って西へ行くと言っていたがその後音沙汰がない。元気にしているのだろうか?
カルビンが結構頼ってくれて嬉しい。彼のためにバイク屋を探す。ホステルの女性がインターネットで見つけてくれた。少しかなり迷いながらも、その場所へ行ったのだが、ロシアのバイク(ウラル)用の店だった。


ウラル(wikipediaより)

カルビンはチェーンルブだけでも欲しかったのだが、見つからず。護身用にナイフを買っていた。(600円ほど。安い!)
ケルビンはエンジンオイルでチェーンを洗い、そこで別れた。

なんと!その店も写真のGPS情報で発見した!!!


ここにバイク止めてエンジンオイルでチェーン拭き拭きしたわーーー!!!


私のバイクはシャフトドライブだったので機能面では大丈夫だったのだが、汚れはひどかった。泥でコーティングされてしまっている。少し磨くと差は歴然である。

シャフトドライブでよかった・・ この泥がチェーンをコーティングすると思うと・・

未だにカルビンとは連絡を取っている。彼は今年の夏に何かしたいと言っている。もしかしたら東南アジアをツーリングするかもだから、合流しようぜと。
 
彼からはLESSON&LEARNというとてもいい言葉を教えてもらった。

ハバロフスク観光

自分には時間があるので、観光をする。日本センターというのがあるとホステルの宿泊者に聞き、探す。(全然見つからん。グーグル先生ですら俺を銀行に連れて行った。)
日本人墓地があると聞き、行く。
ここは難なく発見。


ホステルから10km程度行ったところ。


同じアングルで私のバイクと
 
日本人墓地というより、慰霊公園だった。
写真をどうぞ。

容量の関係でそれほどの枚数をあげられないのだが

すごく感動したが、そこで芝刈りをしていたロシア人に心付け的な感じで金をくれと言われ、渡してしまう。
財布を出したら1000ルーブリ(3000円)欲しいと言われ、取られた。
綺麗にしてくれるそうだが、それが仕事なんだし、花をあげてくれと言ったら、もう500ルーブリだと言われた。ただのたかりだった。orz
彼がいいやつであることを願う。

せめてきれいな写真でしめよう。

出会い

気分が萎えてホステルへ戻る。途中でスタローバヤへ行く。肉とかを頼まないと安い。500円程度だった。
ホステルに戻ると韓国人が来た。
泊まりたいようだ。仲良くなる。アレックスと言う名だ。ロシア語ペラペラでビビる。(英語は下手で少しホッとする)


旨そうじゃろう。黒パン、ボルシチ、サーモンサラダ、ヨーグルト飲料。
 
僕のバイクを見て、VMAXに乗っていると教えてくれた。ハバロフスクのバイカーを紹介してくれるそうだ。20:00頃迎えに来ると。それまで色々やる。(日記書いたりとかも)
迎えに来てくれてバイクチームのリーダーのところへ行く。ロシア人はそういうリーダーをプレジデントと呼ぶようだ。


すげえ!その韓国人ですら迷っていたロシアのバイククラブ、簡単にたどりついちまったよ。

アムール大山猫という名前のチームだ。この生き物、рысь、ってなんだっけな・・狐?って思って色々調べていたら出てきやがった。チームのホームページが。ロシアの発展はすげえ勢いだぜ。あとで連絡しなきゃ。
日本ではアムールヤマネコとして知られてるっぽいけど、ルィスって英語のリンクスでそれが大山猫って意味みたいで・・ まあよくわからなかったごめんなさい 
さらに調べてわかった!つまりヨーロッパ大山猫なんだな!
アムールのヨーロッパオオヤマネコ!
頑張ったんでウィキペディアロシア語版の記事でも読んでください。




左からエヴァン、七三、プレジデント
 
計4時間くらい居たが、英語は全然通じないので、拙いロシア語でなんとか。
写真をとったり、ステッカー貰ったり、コーヒーくれたり、バイク見せてくれたり、プレジデントはBMWのデュアルパーパス(R1200GSだっけかな?)
エヴァンはバルカン1800。


R1200GS ウィキペディアより。バルカン1800の画像キボンヌ
 
来た人が書くノート、ゲストブック的なのがあるのだが、日本人も4人ほど。韓国人はもっと多い。日本から逃げてきたヤクザも来たらしい。
エヴァンがホステルまで送ってくれた。明日朝一で会ってサイドバッグを売ってもらう。


ゲストブックから。この中の一人とはこの後劇的な出会いがある。

本日はここまでです。読んでいただいてありがとうございました。
朝 無し
昼サーモンとトマトのサラダ
パンx2
ヨーグルト
 
夜目玉焼きとハム

30km程
 

ウラジオストク~ハバロフスク 2013/6/20

 


Theユーラシア大陸

ひゃあデカイ!
これをこれから横断しようって言うんだからすごい。

ウラジオストクハバロフスク

まずはこれを見ていただきたい


ウラジオストクハバロフスクである

横に見える北海道と比較してもらえば何となく距離感がつかめるかも知れない。

2013年6月20日

あさ6:00に起きる。昨日は興奮して寝付けず、結構遅く(2:00頃?)寝たのに、今日は早く起きた。これも興奮したからだろう。


このメンバー。イタリア人のトライク乗り アルド&モリー

出発。100kmほど走っただろうか。
モリートが着いてこない。アルドが来た道を戻ることを提案し、探しにもどる。しばらく走ると、いた。
車が一緒にとまっていた。多分モリートを助けようとしたのだろうが、ロシア語が通じず、諦めたのだろう我々と入れ違いで去っていった。エンジンのステーが抜けかけて、エンジンが脱落しそうになったようだ。ステーというか長いボルトなのだが、それを戻す作業開始。実に時間がかかった。2-3時間も、ロシア人が助けてくれた。ジャッキを貸してくれたり、いろいろしてくれた。
ロシア人は優しい人に関してはトコトンやさしい。


100kmくらい走るとウスリースクに着くが、一時間+αも走ればそんくらい行くよなあ

遅めの昼ごはんと出会い

だいぶ走って昼ごはん。

給油したところにスタローバヤがあったのでそこで食べた。バイクがガソスタの前を通って、手を振ったら我々のところへ来た。ケルビンアメリカ、ケンタッキー州から来たそうだ。KLR650に乗っている。


ここで昼飯だ


真ん中を歩いているのがケルビン。イケメン。
左端が彼のKLR650だ。




IN THE MIDDLE OF NOWHERE

しかしすごい時代だ。iPadの写真のGPS情報で、この立ち寄った食堂の場所がわかるのだ。


ストリートビューで。


google先生曰く386km。ちょうど道半ば。M60って言うのはロシアの国道。アジアハイウェウイ6号線の一部である。



走ること800km

まあ結局800kmこの日は走ったのだが、スクリーンが曇りやすく、雨・夜で見えなくなる。オフロード多すぎ。中々ハードだった。

モリートがホステルを決めていたのだが、俺が探すことになる。「◯◯通り エイト、 セブン」と言っていたのでとりあえず◯◯通り8に行ったのだが、モリートは87と言いたかったらしい。だいぶイライラした。
さて87に行ったのだが、全く見つからない。1時間ほど探した。ようやく見つかったがほぼ全て俺が探した。イライラした。アメリカ人バイカケルビンも少しイライラしていたようだ。
彼は本当はキャンプするはずだったが、我々と一緒になったので、ホステルに泊まることになったのだ。金を節約したいそうだ。


翌日撮ったホステルの写真+メーター(メーター読み走行距離832.7km)
 

天国ですかここは・・

ウラジオストクのホステルと違い、皆英語を話せるし、場所も綺麗。シャワーもバスタブ付きで、お湯もよく出る。値段も500円ほど安い。
近くのスーパー(24h)に行って夕飯を買う。惣菜を買ったら、少し高かった。(ファンタオレンジを買ったら少し高かった。惣菜+ファンタオレンジの500mlも買って1000円ほど。)ホステルに戻ってしばらくすると、我々のバイクのことで怒った住人が警察を呼んだ。
何もなく解決したが、優しいホステルの人に迷惑をかけて申し訳ない。
AM2:30頃寝る。イタリア人たちは朝8:00には出発するそうだ。クレイジー
ケルビンはゆっくりするようだ
 
朝 無し
ボルシチ、パン
夜 ピラフ、酢豚みたいなの
 
 
832km

 

ウラジオストク③ 2013/6/19

ようやくバイクが出てくる段まで話を進めれた。
さてウラジオストク三日目 日本を出発して五日目だ。



2013年6月19日 雨のち曇り

ずっと寝てる。朝、バイク通関代行業者のスベトラーナが来るということで起きていたが、自分には関係なかった。pm1:00 まだ寝てる。

(ここからは6/21に記す)ほぼ一日待っていた。バイクを手にしたのはPM6:00。イタリア人2人と一緒にバイクを引き取りに行く。
なんとロシア人の糞税関野郎共、わしの大事なアサヒ風防のスクリーンにペンでなんか数字書きやがった!シュト!カコイカシュマル!


ど真ん中。邪魔な事この上なし。
しかし代行業者に依頼していたのは正解であった。ある程度スムーズに話は進んだ。税関の車庫的な所からホステルまで戻る。初海外でバイクを運転。これほど気持ちのいい事は無い。是非経験をすべき。
(バイクでユーラシアを横断したい人は是非ツイッターで連絡ください。相談のります。(@nijulou))

@海外初走行

ロシアの道は一方通行が多い。(理由はあほくさい理由なんで気になったらぐぐって下さいな。話の小ネタにはなるかもしれない。) 後々面倒になるのだが、@海外初走行なので、この迂回が実にいい気分だった。バイクでウラジオストク観光なんてそうそう出来るものではない。


めっちゃその半地下の駐車場探したけど見つからないなあ。ここら辺だと思うけど・・。


戻って荷物を整理してちょっと飯を食う。
バイクに積載できるものはどんどん積載していく。


写り込むテンション高めのアルド。


VF750MAGNA


本当にユーラシアを横断する気があるのかというレベルの積載量である。(余裕でした)

夜景ミニツーリング@ウラジオストク

アルドが色気付いて、昨日の女と会いたがる、ちょうどタチアーナからメッセージが来ていて、会うことになる。
外で30分ほど待つ。来ず。待ち合わせ場所を変えてようやく会う。カフェに行ってアルドが飯を食う。自分はエスプレッソを頼んだ。

そのあとバイクでウラジオストクの夜を堪能。タチアーナが車で先導してくれた。アルドは助手席で俺の写真を撮ってくれた。

 
何かを説明させられてる


@未だに名前の決まっていない橋。APECの為にロシア人がすっごいがんばって作った。(中央アジアの移住労働者使って)


アルド写真撮るの下手やなあ
 
帰宅。アルドが「タチアーナとやれるぞ、なぜ帰って寝ようとするんだ」とうるさかった。
観光などで走行距離40km